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遺稿集への寄稿と不思議な”えにし” [Life-Work/恩おくり]

8月31日
 梶原拓前岐阜県知事が亡なられる(昨年の8月29))直前まで書き続けられた遺稿「情場(jojo)の時代を生きる」が、現岐阜市会議員の和田直也氏によりまとめられ出版されました。

何故か、その中で多くの著名な方々にまじり寄稿の機会を頂きました。

本・目次.JPG

 私自身、本が自分で捲れないことから、考案したページめくり機を使い時間を見つけ少しずつ拝読し、9/4に本が手元に届いてから約20日かかって、ようやく読み終えることが出来ましたが、改めて梶原前知事さんの凄さ・素晴らしさ・心の豊かさ・・・が感じ・思い出され、只ただ「早すぎる」「惜しい・・・」「ここに書かれているような見識や先見力などを一人でも多くの若い人達に伝えてもらいたかった」という思いでいっぱいです。

 初めての出会いは1989年12月。
「障害と共に生きる/夢ふくらむニュー福祉メディア」というテーマでテレビ対談に出させて頂いた時でした。

知事就任.jpg

 四肢麻痺という障害を負った後、多くの人との出会いの中、ITはじめ支援技術に支えられ在宅で暮らしている障害者が岐阜県にもいるという情報に注視され、自ら画かれていた構想につながる何かを感じて頂いたのかも知れません。対談後、別室で私たち夫婦と3人だけで、福祉に関する思いや不満、妻の介護上での愚痴や苦労話まで耳を傾ける時間を頂きました。
 このことは、その後設けられた「目安箱」につながっていました。私も何度となく提案を投稿しました。
その度に、お忙しい中、必ず直筆の返事を頂き、確かに声が届いている実感と安心感のようなものを感じることが出来ました。いちはやく世の中の情報をキャッチし、実行に移す指示をされていたように感じました。
 岐阜県の福祉が目に見えて変わり始め、他県からも羨ましがられるような施策が打ち出されるようになりました。そうした中、重度の障害者の社会参加支援の拠点として、ソフトピアジャパンのオープン時に「福祉メディアステーション」が。2年後に重度障害者の在宅就業支援の為の「バーチャルメディア工房ぎふ」を立ち上げ現在まで関わりを持たせてもらっています。
 
 私は、出会え肩を叩いて頂けたお陰で、今も関わらせてもらっている障害者の在宅就業支援の取り組みに一歩を踏み出せた超幸せな障害者だと思っています。

 そして今回、遺稿集の出版にあたり寄稿の機会を頂くことになった経緯にも、とても不思議な巡り合わせ“ えにし”を感じています。

 お亡くなりになられる4ヶ月前、愚著「頸損晩夏」の出版計画の中で、
是非梶原前知事に一言インタビュー形式でも良いからと云うことになり打診、それも電話にも関わらずご快諾頂き、出版社の社長/編集長と会うことになったのですが、その日より前に、奥さまとわざわざJR岐阜駅にある福祉工房「Kid’Dream」までお越し頂き、色々とお話をさせていただくことが。
 その時、知事さんご夫妻と私たち夫婦一緒に写真を撮らせていただき、お送りしました。

知事さんご夫妻と.jpg

 この時の写真が、お亡くなりになられた時に、ご自宅にかけつけられた和田直也議員が、遺品を整理される中で目に留まったようで、背景から場所が解ったらしく、後日お尋ねを頂き、未来会館での”偲ぶ会”へのお誘いを頂いたばかりか、今回の大切な遺稿集にまで機会を頂く事になりました。

 その和田議員が、ご自身のblogの中で、《”「則天去私」梶原拓 知事の旅立ち”として書かれている中に、「延命措置はしない。通夜葬儀は密葬、非公表」相変わらず難読の手書きメモにそう書き残して旅立たれたおとっつぁんらしい最期です。8月31日、今日はおとっつぁんの旅立ちです。真夏の青く澄みきった大空を見上げ、手を合わせています。》

 とあるこの日、東京で遺稿集の出版と偲ぶ会が開催されることになり案内を頂きました。
丁度この日は、以前より日本リハビリテーション工学協会「第33回リハ工カンファレンス in あつき」の中での「厚木市市民講座」にパネリストとして話しを頂いていて、欲張って両方に出たい! 願望はある中、
「きっと凄い人達が集まられるはず、その事を考えると居場所が???」
と言う思いと、最初にお会いしたTV対談のテーマ・内容を思い出し、
「きっと知事さんも喜んでもらえるのでは・・・」
と、自分の生きる自信となった支援技術(リハ工学)について一人でも多くの人に知ってもらおう! と後者を選びましたが、

ここでも偶然とは思えない出会いが!!

 当日、新幹線の岐阜羽島駅で時間待ちをしていると、梶原前知事さんの奥さまに!!
「もしかして今日の ・ ・ ・ 」
と声をかけて頂いたのですが、選択を間違った! と頭の中が真っ白になり、どちらからともなく妻と顔を見合わせました。
 お誘いを頂きました多和田議員には、事前に想いを伝えお詫びはしていたのですが、ここに至っては言い訳になるかと思いつつ、心から選択した訳と事情をお話しし、奥さまの
「梶原も、きっと ・ ・ ・ 」
の一言と笑顔により、冷静さを取り戻し新横浜経由で厚木へ ・ ・ ・

 また、遺稿集の参考文献のページの中に、当時「アサヒパソコン」の矢野直明さんのお名前を目にしたのです。
 「頸損晩夏」の中でも少し書きましたが、梶原前知事さんとの出会い(存在を知って頂いた)は、当時、同誌の初代編集長をされていた矢野さんに取材・掲載して頂きました「アサヒパソコン」の記事”パソコンと私”で、今回の遺稿集ともつながり、本当に不思議な巡り合わせ“縁/えにし”を感じずにはおられません。

 この身体、いつまでもつか、やれるか解りませんが、頑張れる間は、こうして出会うことが出来支え続けて頂いた皆さんに、恩返しは出来ないまでも、出会えた喜びと感じ・学んだことの例え1/100 1/10でも、障害を負った後輩達に「伝えたい!」「伝えられたら・・・」、そんな “恩おくり“ が出来たらと思っています・・・


※ -1 この時、梶原前知事さんに語って頂きました篤い思いは、
     「頸損晩夏」(株)CBR https://cbr-pub.com/book/052.html

※-2 和田直也議員fb 
https://www.facebook.com/kazuhiro.uemura.90/posts/1183349378471803?__xts__[0]=68.ARDwTsbOUy0oJQTBPQpSMugFE9m84cXH__0aNRf89Uyq_3KDOT0RIcSOZB-MEUkcuk0IVsfoBYwxaFsg-TUICPgu3ZkYWnqqGP5xDnKllM9XtIKa7uVtzwDqy_X9GIJ5jEQfLxGoxNKtGI5BvmDqGP0d05MfmojkIIJw8L6H_oe5jbNUklwyJw&__tn__=-R

※-3 和田議員のblog「則天去私」梶原拓 知事の旅立ち
http://wada-naoya.jp/wn2/action/%E3%80%8C%E5%89%87%E5%A4%A9%E5%8E%BB%E7%A7%81%E3%80%8D%E6%A2%B6%E5%8E%9F%E6%8B%93-%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E3%81%AE%E6%97%85%E7%AB%8B%E3%81%A1/
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mimimomo

おはようございます^^
相変わらず頑張っていらっしゃいますね^^
今年は身体障碍者の雇用問題で揺れましたね。
miopapaさんもきっと苦い、腹立たしい思いをされたのではないでしょうか。
そんなことを思っておりました。
by mimimomo (2018-09-22 07:09) 

okko

頚損晩夏、隅から隅まで、しっかりと読ませて頂きました。
2か月の思いがけない入院生活で過ぎてしまった夏、気持ちも滅入りがち、年を考えれば、いつ死んでもおかしくない・・そんなことばかり考えて。沈み込む日が続きましたが、その度にpapaさんのことを思い出し、ご著書を読み返し・・・弱い自分に発破をかけてきました。

励まされています。いつかは訪れるその日も、自然に受け止めなくてはと思うこの頃です。
by okko (2018-10-01 16:14) 

yakko

こんばんは。
お久しぶりです。以前 メール交換させていただいていたのに、
ノーテンキな私は何も存じ上げなくて大変失礼致しました。
「頸損晩夏」を読ませていただきます。m(_ _)m
by yakko (2018-10-01 19:27) 

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